古代史ニュース 2020.8・9合併 No.299

⦿本ニュース299号は、8~9月合併号です。
8月までの休講と今後の方向
5月の連休中の全国の国民の自粛努力が効いて、2週間後の感染者が減少し、落ち着いてきました。そして、政府は、4月7日に始まった緊急事態宣言を、5月25日に終了することを発表しました。しかし、この宣言解除は、経済活動の再開を考慮したものであり、科学的に、新型コロナ・ウイルスが消滅したわけでも、終息したものでもありません。
さて、当会は高令者が多く、感染すると重症化リスクが予想されます。当会は、会員の生命を第一義に考えて、コロナ感染リスクと猛暑予想の夏場を懸念して、引き続き8月までゼミを休講とします。
9月以降の再開には、科学的知見と慎重な判断が要求されます。最良の選択は、特効薬やワクチンの開発と普及です。これらの薬が普及すれば、万が一感染しても、重症化は免れると思います。現在、日本と世界は、持てる英知を結集して、特効薬やワクチンの開発に取り組んでいます。是非、早期の開発成功と普及を期待したいと思います。
一方、今年の秋・冬には第二波の流行が、医療関係者から指摘されています。油断は禁物です。
さて、日常生活は、体操・散歩・運動を取り入れた青空下での身体を動かす生活、十分な睡眠、バランスのとれた飲食、談笑を交えたコミュニケ―ションを採り、ストレスを解消する事で、免疫力をアップする生活を日常化して、再開に備えましょう。
古代史ニュースは、最低でも2か月毎には発行して、予定されるゼミの紹介文や、会員の寄稿文を掲載します。初めての会員からの投稿も歓迎しますので、是非共、メールの添付(WORD)で送信してください。又、この期間、投稿ではなくても、メール等での情報発信も歓迎しますので、遠慮なく、話題を提供いただき、会員間のコミュニケ―ションを活発化して、休講期間を乗り切りましょう。
本年の年会費の減額
コロナ禍でゼミの休講が続きます。休講に鑑み、下記の通り、本年の年会費の減額を行います。
1、ゼミ休講月数÷12月相当額を減額する。
(例えば:休講6か月の場合=6÷12=1/2=25百円)。
2、会費は、当面5千円をお願いします。
理由は以下の通りです。
①ゼミ休講月数は12月ゼミ有無決定時までは未定であり、それまで減額幅は決められない事。
②6月更新の会員までは年会費を既に納入している事。
3、減額相当額は、来年の年会費から減額します。
ツアー(千葉・丹後)は来年以降に延期とします
9月5日ゼミ(7月4日ゼミの振替)

①後期青銅器文明の崩壊と「海の民」後編
:亘 康男会員:紹介文はニュース296号に掲載
②天皇の国風諡号と関連名の意味
:井上政行会員:紹介文はニュース296号に
10月3日ゼミ(8月1日ゼミの振替)
―律令とローマ法―藤田一郎会員
:紹介文はニュース298号に掲載
11月7日ゼミ邪馬台国研究史-昭和期
―紹介文:小川 孝一郎会員記―
◆昭和期における邪馬台国研究史を概観するに際し、昭和期を20年ごとに前期・中期・後期に三分割してそれぞれの特徴を整理すると次のようになります。
≪昭和前期―初年から敗戦まで≫
◇時に戦雲低く垂れこめつつあり、邪馬台国論争、特にその位置論争は下火になり、学界のテーマで特筆すべきものとしては生口問題が挙げられます。なおこれは史学会に唯物史観が浸透し始めたことと関係があります。
◇またこのころから考古学界の成果が史学会にお いて注目されるようになりました。
≪昭和中期-戦後から昭和40年ころまで≫
◇戦後思想統制が無くなり、皇国史観の呪縛から解放されて邪馬台国論のみならず各分野で自由な史学論争が展開されるようになりました。 ◇この期の史学会における大きな特徴としては、唯物史観的歴史観の導入と浸透が挙げられます。唯物史観は戦前生口問題を機に広がりを見せたものの、太平洋戦争で一時中断しました。それが戦後思想の制約が外されたことによって大きく花開きました。
特に古代史分野においては、唯物史観に基づく国家形成論に重点が置かれるようになり、邪馬台国に関してもそのような視点に立った議論が多くなりました。
◇江戸時代から綿々と続く邪馬台国の所在を明らかにしようとする研究を、空間軸に基づいた議論とするならば、唯物史観による国家形成論は時間軸に視点を置いた研究ということが言えましょう。つまり邪馬台国を日本の国家形成の過程のどこかに位置づけようとするもので、古代史に限らずこうした歴史観には唯物史観が大きく影響しています。
◇次に考古学の進展が挙げられます。特に考古学者によって鏡や古墳の発掘実績を踏まえた邪馬台国位置論が展開されるようになりました。ここで興味深いのは、考古学者には畿内論者が多いことと、唯物史観論者は考古学を重んじる傾向があったことです。
◇邪馬台国位置論については、内藤白鳥論争以降ほぼ議論が出尽くした感がありましたが、東遷説や放射式解読法が登場して九州説を補強する一方、考古学が同笵鏡論を唱えることによって畿内説を強固に支持するといった動きが注目されます。
≪昭和後期-昭和40年以降≫
◇この期の特徴は、邪馬台国所在地論に関してアマチュア史家が参入してきたことが挙げられます。この頃になると史学界においては、邪馬台国の位置に関する材料が出尽くして、よほどの遺跡・史料が発見されない限り、新たな展開は望めなくなっていましたが、昭和30年代後半の古代史ブームもあって邪馬台国位置論へのアマチュア史家の参画が目立つようになりました。この現象を三品彰英は邪馬台国の商品化と呼んでいます。
◇史学者たちは所在地について論考すると、それがアマチュアとの論争になりかねなくなるので、これを忌避しようとする傾向がありました。アマチュア史家参画のきっかけを作った松本清張は、「邪馬台国問題のシンポジウムなどでは学者の司会は互いに遠慮しあい、突っ込んだシンポジウムにならない」(清張日記)と批判をしています。松本は「小説家としてではなく一人の研究学徒として邪馬台国論争に参入した」とその意気込みを表しており、確かに彼の説には史学者たちも一目置いていました。しかし学者から見れば彼はあくまでもアマチュアでした。学者たちにしてみれば、アマチュアと本気で論争する気にはとうていなれなかったということで、松本が言うシンポジウムなどで学者が積極的に発言しなかったのにはそうした事情があったものと思われます。
◇こうして学界における邪馬台国問題は、位置論から古代国家形成の視点に基づく研究対象(必ずしも唯物史観に立脚するものばかりではない)が中心となっていく一方、位置論や倭人伝解釈などについては、アマチュア史家達の知的探求心を満足させる格好の材料になっていきました。
◇なお唯物史観は教条的であることや理論の硬直性などが指摘されるようになり、昭和期末ころには徐々に勢いが弱まっていきました。またアマチュア史家をも巻き込んだ所在地論争は、昭和40年初めころからほぼ20年続きましたが、論争の種がほとんど尽きたこともあって、こちらも昭和が終わるとともに終焉を迎えました。これは邪馬台国の所在地がいずこであるかというテーマについて人々の熱が冷めたということで、邪馬台国そのものの研究が下火になったわけではないのは言うまでもありません。
在野の研究者達が発表した邪馬台国論は、学問の大衆化という点では大いに貢献しましたが、その多くの論旨は先人達の研究の域を出ておらず、また既存の説を都合よく取り入れて独自の説を展開したものも少なからずあったようです。
◇こうした経緯をたどりつつ、史学界では、昭和が終わるころから唯物史観においては虚構とされていた記紀を中心とした文献史料に対する新たな研究が展開されるようになりました。
◆本稿では、昭和期における邪馬台国研究のうち、唯物史観にかかわる生口論争と唯物史観に基づく邪馬台国論の代表例として、藤間生大の「埋もれた金印」の概要に触れます。所在地論に関しては特に話題となった注目すべき学説(邪馬台国東遷説・放射線式読法・三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡説など)を紹介します。アマチュア史家の参画については、そのすべてに言及することはとてもかなわぬことですので、その発端となった松本清張の主張を取上げることとします。了。
宮廷祭祀―鎮魂祭と「先代旧事本紀」
―守屋 尚会員記―
 去る令和元年5月1日即位された徳仁天皇は、10月22日皇居・宮殿・松の間の「高御座」に立ち、内外2千名の招待者を前に厳かに即位を宣明され、「即位礼正殿の儀」を滞りなく執行された。引き続き祝賀パレード、11月14日・15日の大嘗祭挙行が確定しているが、掲記の鎮魂祭については、世間になじみが薄いので、『国史大辞典』、『有職故実大辞典』の記載などにより紹介したい。
 鎮魂祭は、例年11月23日の新嘗祭の前日、仲冬寅の日の夕刻から宮中三殿付近の綾綺殿(りょうきでん)で開始され、天皇・皇后・皇太子の御魂が遊離して行かないように鎮め、御体内に安置させる「みたましずめ」と御魂に活力を与え再生させる「みたまふり」の双方を行い、御代の長久とご健勝を祈念する呪法である。
本祭祀は日本書紀・天武紀14年11月24日条『是の日、天皇のために招魂しき』が初見で、文武・慶雲4年大宝令・神祇令で正式に儀礼化された。これは戦国時代に一時廃絶されたが、近世では白川伯家邸の幄舎で、内侍らの牛車を並べて再興され、その模様は「年中行事絵巻」に残されている。さらに変遷をへて明治2年復活、明治22年以後は11月22日に斎戸祭(いわどのまつり)として宮中で挙行されている。 この神事では、宮廷内に八神殿の神々と大直日神(おおなおびのかみ)の神座を設け、御巫(みかんなぎ)・猿女(さるめ)ら神祇官の巫女たちが神饌の炊飯を捧げ神楽舞を行い、まず御巫が宇気槽(うきふね)を伏せた上に立ち、琴の音に合わせて宇気槽の底を桙(ほこ)で10回撞き、そのつど神祇伯が木綿(ゆう)の糸を結ぶ所作を10回繰り返す「猿女の鎮魂」といわれる儀が行われる。ついで神座の前で女蔵人が天皇御衣を左右に十回振り動かす魂振りの儀をおこなう。
この鎮魂祭については、さきに物故された上田正昭・元京都大教授が『私の日本古代史』(上)(2012年刊)において、石上神宮(天理市布留町)や物部氏関係者の手になる「先代旧事本紀」に関連して、詳しく論じられており、その要点はつぎの通りである。
(1)宮廷・鎮魂祭の由来は、養老令の注釈書である「令義解」(りょうのぎげ)並びに大宝令の私的解釈書「「令集解」(りょうのしゆうげ)(貞観年間859-877)の職員令・神祇官鎮魂の条に記す「細注」が示している。そこには「古事曰く、饒速日命、天より降る時、天神、瑞宝十種を授く」「若し痛む処あらば、この十宝を合わせて一二三四五六七八九十と云ひて、ふるべゆらゆらとおふるべ、かくのごとくすれば死人は返りて生きむ」と明記されている。
(2)石上神宮では、「みたまふり」としての鎮魂の秘儀と呪法を古代以来執行しており、「年中行事秘抄」の鎮魂歌に、石上布留の社とその鎮魂が読み込まれている。 特に重視されるのは、柳筥(やなぎばこ)と鈴のついた榊を用いる秘儀であり、筥には洗米・玉緒、十代物袋(としろものぶくろ)、切麻(きりぬさ)が納められている。宮司は、「神勅の事由」(次段3参照)を黙祷し、十種の瑞宝を揺り動かす呪詞を唱え、禰宜はふるへゆらと、と「和歌の本」を唱える。(秘儀について、詳細に解説されているが、省略したい。)
(3)「神勅の事由」とは、「瀛都鏡(おきつ)・辺都鏡(へつ)・八握鏡(やつか)・生玉(いくたま)・足玉(たるたま)・死反玉(まかるがえしたま)・道反玉(みちがえしたま)・蛇比礼(へびのひれ)・蜂比礼(はちのひれ)・品物比礼(くさぐさのもの)、天神の御祖の教え詔し曰く、若し痛む処あらば、この十種をして一二三四五六七八九十(ひいふうみよいつむななやここのつとおお)と謂ひて布留部由良由良止乎布留部(ふるべゆらゆらとおふるべ)、かくのごとくこれをすれば死人は返りて生きむ」とするものである。
(4)以上の石上神社鎮魂祭について、「先代旧事本紀」の記載との関連をみれば、第三「天神本紀」に「天神御祖(あまつかみのみおや)詔て、天爾瑞宝(あまつしるしのみず)を授ける。十種の瑞宝というは是なり。若し痛むところあらば、この十種の宝をして・・・・・・・・死人は返りて生きむ。是即ち、いわゆる布留のことのもとなり」とある。 
ついで、第七「天皇本紀」に、神武天皇即位年、11月朔日庚寅に宇摩志摩治命、殿内に天爾瑞宝を斎奉る。帝・后のみために御魂をしずめまつり、寿祚を祈祷る。所謂、御鎮魂祭此れより始れり。凡そその天瑞は饒速日尊、天より受来れる天爾(天孫のあかしとなる、あまつしるし)の瑞宝十種、瀛都鏡・辺都鏡・・・・・・品物比礼、是なり。天つ神教えて導く「若し痛むところあらば・・・・・・返生(よみがえり)なむ。即ちこれ布留の言の本なり。所謂ご鎮魂祭り、是れそのことの本なり。その日、宮廷では猿女君ら百の歌女を卒いて、神楽歌舞するは、是そのことの本なり。
また第五「天孫本紀」に、崇神天皇は天つ神・国つ神の社をさだめ、八十万の神々を祭られたが、その際布都の大神の社を大倭國の山辺郡の石上村にお遷し祭られた。天つ神の先祖が饒速日尊に授けて天から受け継いで持ってこられた天爾の瑞の宝を同じ場所に納め、石上大神と名付けた。国家の氏神として崇め祭つて、それを鎮めとして、年毎に仲冬寅の日に鎮魂祭を行うことを恒例とせよと仰せられたと記述され、石上の祭祀と神宝の由来を特筆している。
(5)上記によれば、石上神宮での鎮魂祭と天皇本紀の本文は、上記「令集解」「細注」文を原注とすれば、記載内容がほぼ同じで、語句の若干の違いがみられるのみである。
このように、大宝令の注釈書・「令集解」・職員令・神祇官鎮魂の条「細注」と、「先代旧事本紀」・巻七・天皇本紀との記載内容が共通であることは、「先代旧事本紀」成立は、延喜4-6年(904-906)よりも遡る「令集解」編纂の貞観年間(859-877)以前とみなし得ること、その他、宮廷と石上神宮双方で同じような祭祀が行われていたこと、宮廷の鎮魂にも物部氏系の鎮魂呪法が貞観以前に採用されていたことを示している。そのことは実際に、平安時代の法制書である「政事要珞」巻二六、仲寅鎮魂祭の条に、「集解に云はく」として、前記の文を引用しているので、平安時代でも同じく執行されていたことを示すものであると。(同書177頁)。
(6) また「先代旧事本紀」は江戸時代から偽書とみなされてきたが、本文には「古語拾遺」の文に基づいたところがあり、延喜講書の折に藤原春海が本書に言及している事実からみて、単なる偽書ではないといえるとされる。他にも同意見の学者がみられる。
尚、鎮魂祭は物部神社(島根県太田市川合町),弥彦神社(新潟県西蒲原郡弥彦村)でも行われている。以 上 (2019.11.1.記) 
理事・監事改定(2020年7月~22年6月)
当会の規約により、古代史理事・監事は2年毎の改定となります。この期間に退会した理事さんの削除や、貢献した会員(世話人会参加)の新理事への推薦等を検討した結果、下記の通りの体制と致しますので、ご案内します。
(あいうえお順・敬称略)
再任:浅井 壮一郎。 市川 達雄。 一森 建彦。
    稲垣 浩。 井上 政行 。磐城 妙三郎。
    内田 登喜雄。 小川 孝一郎。川崎 信彰
清野 敬三。 倉重 千穂。 小島 達矢。
齊藤 潔。 榊原 康彦。 坂元 洋子。
    鈴木 慧。 清徳 則雄。 関根 昌子。
    竹内 あさ。 二階堂 剛。 藤井 輝久。
    藤田 一郎。 松川 博光。 明城 與一。
    山腰 直人。 米野 博。 渡邉 恭三。
    渡部 真樹子。 亘 康男。
新任:岡安 良宣。 原口 久恵
再任監事: 守屋 尚。    以上。
9月12日世話人会13:00~17:00
 全水道会館4階小会議室(水道橋駅)
全水道会館ゼミ会議室
11月7日以降のゼミ会場は、水道橋駅前の全水道会館(5階中会議室)に変更となります。
1、全水道会館の住所と電話番号
住所:文京区本郷1-4-1
電話:03―3816―4196
2、アクセス
◎JR・水道橋駅で下車し東口(お茶の水駅寄り)改札口を降りて神田川を渡り北へ徒歩2分
◎都営三田線水道橋駅下車A1出口徒歩1分


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